まずはじめに。どの分野、世界においても上級者とは一握りの存在であることを読者には認識していただきたい。
つまり勝者いつでも少数。少数の中に入るには相当な難しさがある。受験勉強を思い出して欲しい。東京大学に入学するというのは能力の証明である。自分の偏差値を思い出して欲しい。大して能力を証明してこなかったにも関わらず、自分は超一流だと勘違いしてないだろうか?
まつやんは、しばしば勘違いすることがある。しかし、現実は甘くない。受験勉強でも投資の世界においてもトップは一握り。まずは、この難しさについて認識しておくことは投資ライフにとっても役立つはずだ。
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スペシャルな投資家(上級者)
多くの人が勘違いして、自分はこのレベルの投資家になれると思い込んでいる。はっきり言って瞬間風速だとしても、このレベルに到達できるのはそうそういない。
中堅クラスの実力の人間が勘違いして、思い切りレバレッジをかけてこのランクに到達する前に失速することは往々にしてある。
大相場師と言われる人たちが投資の古典本に出てくるが、最終的に財を保てなければ中堅レベルに過ぎなかったと言われてもしょうがない。
それぐらい、道が険しい。10億を超えるレベルならば、スペシャルな投資家と言ってよいだろう。
中堅、中級な投資家
いわゆる、億を達成した投資家はここに分類される。億り人になった人たちはくれぐれも自分が何者であるかを、自戒してほしい。
大した功績も成してこなかったものが、スペシャルな投資家を目指すとやけどする。
このレベルにとどまるだけでも大したものなのだから、そのことも忘れずに。
凡人にとって株で大事なことは攻守のバランスである。
せっかく財を成しても、すぐに失ってしまうような投資家は攻守のバランスが悪い。現金ポジションを一定確保しておかないと、ナンピンもできないし、次の銘柄にトライすることもできなくなる。
攻守のバランスこそが株におけるセンスが問われる部分であろう。才覚もそこで確認できる。
愚者
せっかく幸運にも中堅投資家のレベルに到達したにもかかわらず、不用意なリスクを冒して財を失う投資家は愚者である。
非常にもったいない。自分の能力を見定めることが大事だ。
トップ少数に入るだけの頭があるか、自分で判断できないものは大人とはいえまい。
自分が何者であるか?どれだけの能力があるか。幼少の頃から思い出すべきである。人よりも抜きんでた何かを持っていたことがないにも関わらず超一流に自分はなれると思ってはいないだろうか?そもそも億を稼ぎだすのさえ、簡単なことではないのだ。一時の運を自分の実力と思ってはいけない。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶとビスマルクは言った。
しかし、経験にさえ学べない人間は多い。
自信と過信は違うのだ。過ぎたるは猶及ばざるが如しなのだ。無限に幸運が降ってくるならばすべての人は億万長者になっている。自分が特別なのではない。無限とも思えるような時に巡り合っているだけの可能性を感じるべきなのだ。疑うことが大事なのだ。
実力ではなく、幸運だと悟った時に夢から醒める。それが早い人間はそこから助かるだろう。しかし多くは文無しになってから気づくのである。
絶好調を実力だと思うと足元をすくわれる
過信が判断を狂わせる。チャンスに乗ることは大事だが引き際も同様に大事だ。明らかにツキが落ちているのにいけると思ってしまう。
何回もチャンスを逃してたら、そりゃ神様にも怒られますわな。脱出もチャンスも同様。
でも当人は絶好調がいまだに自分の実力だと思うのだ。
やせ我慢により資産を没収
まだ負けてない。いや既に負けているのです。いつか上がると信じて株を握りしめる。相場が良い状況だった頃の記憶が心を支配しているゆえに、そこから脱却できない。そのような状態を酩酊の極みと申します。
自分の投資家としての実力に心酔している。だからこそ酔っているからこそ気づくのが遅れる。気づいた時には資産の大半を失っているのです。そこには己を律する克己心というものは存在しません。後悔したころにはもう引けない状況になっています。
引くも地獄、進も地獄。ならば希望に導かれようとする。それは果たして希望なのでしょうか?そこで引き返せる人にのみ勝利の女神は微笑む。私はそのように思っています。
過去最高資産にこだわる人、ドローダウンの罠
常に過去最高でありたい。今を今までで最高の時にしたい。人間のはかない願いではありますが、投資に関しても同じです。
いいえ、投資はレバレッジを過剰にかけられるゆえに、性質が悪いともいえましょう。
焦るのですね。損をすると。すぐに損を取り返したがる。でもそれは典型的な負けパターン。
まとめ
偉そうにつらつらと書いてきたが、自戒している面が非常に多い。まつやんはしばしば愚者に成り下がってしまう傾向がある。
自分が凡人で愚者であることを忘れずに、自分の限界をよく認識しながら毎日を過ごしたいものだ。
バフェット氏の言葉を借りるなど恐れ多いが、それこそ知恵の輪を意識してみるのは有用だと思う。